外山康二(1A-2D-3G)です。皆様大変ご無沙汰しております。

実家は大曲農業高校の傍ですが、今はもう跡形もなく、現在はセブンイレブン上栄町店になっています。大曲の花火大会に行かれるときはご利用ください。

1年生の時はスキー部に所属していましたが、その後は部活もせずに、引きこもり的にぶらぶらしていて、学校の屋上で大きな凧を作ったりした関係で3年生の時は出席不足で卒業も危ぶまれたのですが、各教科の先生方のご高配を賜り卒業間際までぎりぎり補修を重ねてお蔭様で何とか卒業させていたきたました。本当に感謝しております。ズーズーしく大学生の時には教職実習でお世話になりましたが、秋高の先生方には暖かく迎えていただき本当にありがたく思っております。

 

秋高卒業後は国際基督教大学に進学(何故か現役)、卒業後の1979年に三井物産に就職しました。入社時はイラン革命でイランのバンダルホメイニにあった3500億円の石油プラント事業が風前の灯となり、入社早々あわや倒産かと騒がれた本当に暗い時代でした。

入社後即食料部門に配属され、1982年に北京語言学院に語学留学生として派遣されて以来、中国関係の仕事に携わっておりました。それ以外は概ね本社勤務でしたが、一度だけ青森県八戸市にある子会社に出向し1996年から1998年まで八戸におりました。その間、縁あって牛丼の吉野家の秋田・岩手・青森の一号店を立ち上げたのが故郷に一番近いところで仕事をさせていただいたことになります。大学時代に大変お世話になった吉野家の牛丼が秋田でも食べられるようになり、実家にも近く、また、家族とも一緒に過ごす時間ができ会社勤めの中で一番楽しかった時代です。

1982年に中国語研修した後は長期出張を除いて海外勤務はなかったのですが、2000年に上海の現地法人に転勤して以来2013年まで中国での駐在が続きました。長い本社勤務の付けを倍返しで払わされた格好です。

当時の中国は右肩上がりの経済発展で猫の手も借りたくなるようなくそ忙しい毎日を過ごしておりました。少ない人材リソースの中吉野家上海や低温物流会社の立上、港湾関係のインフラ事業投資など目まぐるしい毎日でした。宴会と交渉の連続が続いたお蔭で糖尿病や高血圧など成人病のデパートになるほど体を酷使した13年間でした。

2013年に漸く本社に帰任し、2016年に定年退職した後は、ご縁があって関西に本社のあるサービス企業に再就職した後、同社の上海現地法人に勤務しておりましたが、昨年2019年2月に退職し帰国しました。サラリーマン卒業です。

その後は個人で中国関係のコンサルタントをしながら行ったり来たりの出張が続いていましたが、この春からのコロナ禍のお蔭もあり、ようやく東京での生活が落ち着きつつあります。

現在中国企業の依頼で河南省の貧困農村解決のためのスマート農業の紹介などをリモートでお手伝いしながら生活しております。

過去40年全力で走ってきて自分自身の過去を振り返る時間もなかったのが、このSTAY HOMEにより時間ができたことから、週一のゴルフの時間以外はパソコンに向かってゆっくりと考えることができるようになりました。コロナ禍も悪いことだけではなく新しい自分自身を見つけられるご褒美と前向きにとらえて酷暑にもめげずに何とか生き続けております。

来年は同窓会があるとのことですので、それまで生きながらえて是非皆様にお目にかかりたいと思っております。

外山さん写真

 

河南省信陽明港空港