3年間Jだった島礼(しま ひろし)です。佐々木章さんのご指名で、AKS50エッセイリレーに参加します。附小では剣道部、附中ではブラバン(クラリネット)でしたが、秋高では何にもしてなかったです。今は、宮城県立がんセンターで、研究所長をやっています。ところで、皆様もお感じでしょうが、今日、がん治療は劇的に変わろうとしています。この40年でがんの原因となる多くの遺伝子変化が解明され、それを標的とした治療(がんゲノム医療)が現実のものとなりました。その流れのすみっこのお話を1つ。

 

親父が内科で開業していたこともあり、小さい時からお医者さんになろうと思っていました。一年浪人した後に秋大(医)へ入りました。卒業の時は、臨床に行くか基礎に行くかで悩みました。その時、「目の前の患者さんを治すことも大事だが、知らない数万人の患者さんを直す仕事も大事」という誰かの言葉に感化され、基礎医学を選びました。特に人類の敵「がん」に対峙してみたいと思っていました。しかし、入学した大学院で与えられた研究テーマ(FBPase:糖新生の代謝酵素)は、やりがいがあるようには見えなく、人生の無駄に思えて、悶々とした日々を送っていました。そんな33年前のある日、秋大の廊下のポスターで、国立がんセンターで、リサーチレジデントを募集していることを知り、東京に出てみることにしました。

 

築地の国立がんセンターにて

ここでは、基礎研究に関してそれまで持っていた地味なイメージがぶっ飛びました。隣の朝日新聞社の記者が、特ダネを求めて研究所の中をウロウロしていました。当時は、がん遺伝子研究の黎明期でした。同僚たちは世界と伍しながら、新しいがん遺伝子の同定に成功していました。私は違う分野の仕事をしていましたが、「発がんの経過で、遺伝子のスプライシングが変化する」を見つけた時はノーベル賞が近いかも! と思いました。当時は様々な仕事をさせてもらいました。「成人T細胞白血病の原因ウイルス」とか、「肉・魚のお焦げを食べるとがんになる」とか「脱リン酸化酵素とがん」とかです。本稿では、「DNA修復と発がん」研究についてご紹介します。この分野は、現在、画期的な乳がん・卵巣がん治療法となって進展を遂げています。

 

DNA修復ってなに?という訳ですが、最近は説明がしやすくなりました。それは、アンジェリーナ・ジョリーさんの報道「彼女は家族性にBRCA遺伝子に変異があり、高い確率で乳がんになるので、事前に手術で乳房切除をした」のためです。遺伝子DNAは2本鎖からなっていますが、何らかの理由(タバコ、発がん剤、紫外線等)で断裂した2本鎖を修復するのに必須なタンパクがBRCAです。すでに当時、がんが遺伝子の病気であること。そして、遺伝子の修復異常が発がんの原因になる事が常識となっていました。そこで、我々は、DNAの修復に働くと考えられた反応(ポリADPリボシル化:発見者の一人は、当時の総長の杉村隆が発見)の研究を行っていました。ポリADPリボシル化を合成する酵素(PARP)の精製、その遺伝子の同定、阻害剤による機能解明を行っていたのですが、結論として、「PARPが、DNAの一本鎖の切断修復に重要であり、この機能を阻害すると、細胞のDNA修復が抑えられる。」事を明らかにすることができました。当時はここまでだったのですが、この4〜5年で、外国の研究者により、PARPの阻害剤が、BRCA1変異が原因となって生じる乳癌・卵巣癌(この細胞の中ではDNA修復が脆弱になっている)を特異的に殺す作用があることが報告されました。一般の抗がん剤は、がん組織をやっつけるためには正常組織にも障害を与えてしまうのが常ですが、PARP阻害剤は、正常組織に害を与えずに、BRCA変異をもつ乳がん・卵巣がんの患者さんを治療することができます。現在、保険適応にもなりました。この治療開発に関して、黎明期にちょっとだけ貢献できたことを、少し誇らしく思っています。

ところで、築地の官舎に居た時は、土井純一郎君が、銀座出張のついでに、時折、秋田の美味しいものを持って遊びに来てくれました。ありがとね。

 

スイス・バーゼルのFMI研究所にて

築地暮らしが11年になりマンネリ感がしてきました。そんな折り、東銀座の居酒屋で、講演に来たGeorge Thomasと飲んでいるうちに、バーゼルに来ないか?と誘われました。最初は1年の出張扱いだったのですが、最後は総長の逆鱗に触れて辞表を書くことになってしまいました。その顛末をお話しします。当時私は、厚生省の技官だったので、出張には公務員用の緑のパスポートを使わねばなりません。このパスポートでは指定された国以外は行けません。でも、かみさんは、北はデンマークから南はスペインまで都合12カ国に行きたがっていました。そこで、それぞれの国の研究者にお願いして招聘状を書いてもらい、それも出張の一環とすることにしました。交付された緑パスポートには、スイスを入れて13カ国の名前が列挙されました。これで、メデタシメデタシのはずでしたが、出国の前2週間になって、外務省から総長へ確認が入ったのです。総長からは、「お前はいったい何をしに出張するのだ?スイスでの共同研究ではなかったのか?遊びにいくのか?」と怒られ、辞めて行くか、留学を止めるかのどっちかにせよ、と言われました。そこで、生まれて初めて辞表を書くことになりました。厚生省技官の大名旅行から貧乏研究者の夜逃げになり、支給された研究費やビジネス切符は取り上げられてしまいました。日通の外国引越便は解約し、家財道具一式、段ボールにつめて郵便局から送りました。

 

命からがら逃げてきたバーゼルでしたが、ここでの生活は家族全員にとって美しい/美味しい思い出での地になりました。今でも、かみさんと娘達には、何故日本に帰ってきたの、と文句をつけられます。バーゼルはヨーロッパの医学・薬学・経済の中心です。地理的にも真ん中なので、週末にアルザスやブルゴーニュにワインを飲みに行けました。さて、仕事の話ですが、その時、「ラパマイシン」という薬が、抗がん作用を持つということが発見されていましたが、そのメカニズムは不明でした。私の仕事は、「ラパマイシンが制御すると考えられたS6キナーゼ(S6K)の遺伝子を欠損させたマウスを作製し、その異常の解析を行う」というものでした。従って、この変異マウス(S6キナーゼノックアウトマウス)の作製が上手くいかなければ何も進みません。このマウスの作製には困難を極めました。途中で母上が亡くなりましが、結局帰れませんでした。しかし、2年間でようやくその変異マウスの作製に成功し、その中で分かってきた事は、がん細胞が生き延びるためには、特定複数のタンパク群(PIK3/AKT/mTOR/S6K)の持つ機能が連動して活性化することが必要で、これら活性化が、タンパクの修飾(リン酸化)で制御されているということでした。ラパマイシンが標的とするPIK3/AKT/S6K経路はとても複雑ですので、使い方を間違えると上手に癌を叩くことができません。現在、私が作製したS6キナーゼKOマウスは、世界中で使われてこの複雑な経路解明に役立っています。

バーゼルでの一番の思い出は、変異マウスができずに暗黒の生活をしていた時、J組の菅貞郎君が学会の際に、濱乃家のキリタンポ鍋セットを発泡スチロールに入れて持ってきてくれたことでした。ただただ嬉しかったです。

 

北大・遺伝子制御研究所   

S6キナーゼKOマウスもできたし、それを使って沢山論文が出そうでした。そこで、そのままずっとバーゼルに居たかったのですが、、、スイスの高額な生活費(アパート代や健康保険代)や子供の学費等々が肩にのしかかってきて、早めに日本に帰るしかないな、と思っていた折り。バーゼルに講演に来ていた北大の菊池先生が「助教授に来ないか」と誘ってくださり、日本に戻りました。北大のキャンパスはすぐに気に入りました。構内で雪が完全に溶けるのは5月の連休でが、それから8月にかけて、天気の良い日は平日の午後からジンギスカンの狼煙が上がります。生協にいくとジンギスカンセット(貸し出し七輪、炭、マトンおよびビール)が千円で買えます。安くて旨いです。学外者でも買えるので、今度行ったらぜひ試してください。

 

バーゼルで研究したS6キナーゼは、タンパク質にリン酸をくっつける酵素でしたが、北大では、脱リン酸化酵素(リン酸を外す酵素)に関する研究を本格的に始めました。研究所にいる北大理学部の学生達に、それぞれ種類の違う脱リン酸化酵素の解析をテーマに与えて、がんとの関係を徹底的に解析してもらいました。一時は、癌学会の発表の一部屋が、殆ど、ここの学生だったこともあります。その内にやっかいな事に気づかされました。北大に骨を埋めるつもりで家も建てたのですが、当時、文科省から「助教授から教授の内部昇進は望ましくない」の方針が出され、当研究所の教授会でもそれが是とされたのです。教授からは「自分が定年になる前に他に移るように」となりました。研究者というのは独立して自由な創造がなければやる存在意義がありません。中間管理職ではダメなのです。そこで、職探しを始めました。一般に、教授・部長選は、まず書類選考で数人選ばれ、その数名でセミナーをやり投票が行われて一人が決まります。私の場合、書類選考に通ってもそこからが連戦連敗で、心身症になりかけました。そんな時いつも聞き役になってくれたのは、マロン君(ちっちゃな赤犬)でした。今、なんとかやっているのは、彼のおかげです(合掌)。そのうち、宮城のがんセンター研究所の部長選でなんとか生き残りました。

 

宮城県立がんセンター研究所にて

秋田県人としては、仙台には良いイメージを持っていなかったのですが、住めば都ですね。現在、所長と東北大の連携大学院の教授の兼任で、研究をしています。定年まであと3年ですが、それまでに臨床応用が可能かだけでも目処を付けたいと思って居ます。ここでは隣の病院で臨床をやりながら、僕らと一緒に研究して学位がとれます。ご親戚の方で、研究をしたい方がいらっしゃれば、ぜひご紹介ください。東北大の医学博士の学位も取れます。最後に、現在進行中のプロジェクトを紹介します。

 

プロジェクト1:がんの代謝を標的にした新しい治療開発:体の中で、グルコース(ブドウ糖)を大量に取り込むのは、正常な脳組織とがん組織です。がんの早期診断に使われるPET検査は、この性質を使ってどこにがんがあるか検出する検査です。がんの代謝というのは、沢山入っているグルコースがどのように使われるかのことです。この研究を行っている上で、新しい治療に結びつくことが分かってきました。小細胞肺がんは、肺がんの約20%をしめる種類です、肺がんの中で最も悪性度が高く、有効な治療法がありません。最近我々は、小細胞肺がんは、他の肺がんと較べて、Pkm1という酵素がたくさん作られていることを発見しました。次に、Pkm1には取り込んだブドウ糖から効率良くエネルギーを取り出す働きがあること、そしてこの働きが小細胞肺がんの増殖に必須であることを見出しました。現在、製薬会社と共同で、これを標的とする薬剤開発を行っています。世界で初めて、小細胞肺がんの治療法を開発できるのではと考えています。

余談ですが、秋田の大学院で与えられたテーマに近い所に戻ってきてしまいました。不思議なものです。大事な事っていつでも大事なのですね。きっと。

 

プロジェクト2:発がんシグナル増強を起こす機構の解明:国がんと北大の時に暖めていたホスファターゼ研究がようやく実を結びつつあります。がん組織の中で、最も変異の率が高いものに、RAS遺伝子があります。これは多くのがんで、初期に起こる変化と考えられていますが、変異型RASの存在だけでは悪性度の高いがんにはなりません。この次に起こる遺伝子変異により、悪性度の高いがんとなります。私たちは、ホスファターゼの1つPP6遺伝子変異が、変異型RAS と共存すると著しい腫瘍の増大化・悪性化が起こることを見出しました。また、世界で初めて、PP6遺伝子変異が、舌がん、悪性黒色種、皮膚がん原因になることをマウスの発がん実験で証明できました。現在、臨床上の大きな課題は、RAS変異をもつ腫瘍に対して効果的な抗がん剤が見つかっていないことです。PP6を標的にすることでRAS変異をもつ腫瘍に対する新しい治療法の開発ができると期待しています。

 

それでは、皆さん、そのうち川反か仙台の文化横町あたりでお会いしましょう。以下、研究所のHPです。お暇だったらどうぞ。

http://www.miyagi-pho.jp/mcc/kenkyu/index.html

高清水