1E(花の共学 担任:藤田和平先生)
2H(がっかりの別学 担任:渡辺(??)斧守先生)
3I(無念の別学 担任:渡辺忠先生)
秋田を離れて、約44年。 大学入学⇒卒業・就職⇒結婚⇒還暦⇒定年⇒ご隠居生活! 生活環境・時代、それぞれが変化し、高校時代から見て、思えば遠くへ来たもんだ。 3~4年前の大事な記憶を忘れる方々が昨今話題になっておりますが、私にとって45年以上前の高校生活の記憶が今でも多数、鮮明に残っています。
会社人間として、時間に追われた日々、効率、責任、ストレス、忖度、人間関係などから解放され、悠々自適な毎日です。 糖尿病予備軍ではありますが、定年退職後、HbA1cが、9%台という危険領域から脱出し、平均値になったことから見てもまずまずのご隠居生活です。 健康年齢の平均が72歳程ですので、経済的には決して裕福とは言えませんが、 健康でいられるであろう今後10年をいかに充実して生きていくかが今後の課題です。
今は、旅行(主に温泉と観光地巡り・・・写真参照)、年配相手の卓球(これがかなりハードです)、相模湾の船釣り(3年に1回くらい、幻といわれる大物を釣ります)、箱根が近いので、2週間に1回くらいの日帰り温泉などを満喫しています。

さて、高校時代の思い出として少々。 当時の先生各位は、非常に寛大で、太っ腹の方々が多くいたと思われます。 枠にはめない、いわゆる放任主義に近い指導方針だったかな! 一定の規律遵守の元、自主性を重んじてくれ、思い出に残る高校生活ができたと思います。 昨今、道徳教育とか、教育指導要領とかが話題になっていますが、当時の秋高生は皆、ある程度自制心・プライドがあり、教師各位も理解してくれていたと思われます。この時代に培われたそうした生活の基礎は、今でも有益だと自信を持って言えます。

「思い出具体例」
・入試の募集要項では「共学」とあるのに、我々の時代は女子は、全体の20%未満。 おかげで、同窓会の席では、3Iでは華がありません。せっかくのマドンナ各位を遠くで眺めているだけ。これは不公平ですよね! 現在の秋高は生徒数が少子化のため、生徒数は当時の半分程度のようですが、全体の半数近くが女子で、誠にうらやましい限りです。
・別学からの反対により、2年次から中止になった合唱コンクール (まさに共学のためだけのものでした。)
・体育の授業は、授業というよりは、自分たちのやりたい種目を好き勝手にやらせてもらいました。1年間、サッカーだけ、野球だけ、卓球だけなどの方が多く、楽しかったです。別学ならではの良さだったかもしれません。
・「共学にだけは絶対負けるな!」と気合込めて戦った学級対抗。これは本当に燃えました。 名目上、強化合宿と称して、1泊2日の合宿を行い、放課後、各種スポーツの練習、夜の水泳など頑張りました。別学のいいところでもありました。今だから言えることですが、軽い飲酒、当時流行していたコックリさんに戯れたことが記憶にあります。
・3年生の後半なると、体育の授業時間は、自習時間になりましたが、体を持て余していた私にとって、自習を抜け出し、2年生の体育(サッカー)に交ぜてもらい、満足していた時もあります。ちなみにこの時の体育教官は、なんと担任のワダチュウ先生だったので見つからないよう必死でした。
・学生集会はよくさぼりました。隠れ家は、屋上のさらに階段を上った4畳半位の スペースでした。見回りの先生に見つかり、一度目は口頭注意、同じ場所に引き返して後、こともあろうに2回も見回りに来てくださり、今度はさすがに頭を一発パシッと決められました。それ以後はまじめに集会に参加しました。水道山への回避は遠いので1回だけでした。 ちなみに「決める」という言葉に皆様思い出がありますか? 何かを行うことの総称で、「早弁を決める」、「フロントorバックを決める(トイレに行く)」、「服を決める(目立つ服装orおしゃれな服装)」などなど。
・北高の文化がこれまたなんとも言えない雰囲気だったこと(別学への反動です)
・その他 学祭のミス秋高コンテスト(おかま)、水道山の「水」がたった1枚のシートを貼ることで「氷」になったこと(秋高生のセンスの良さ。一部の奥羽線・男鹿線通学者しか知らないかも?) いろいろ語り尽くせぬことがいっぱいで、止まりませんがこの辺で。 とりとめのない事をいろいろ述べてきましたが、これからは春から秋は秋田、冬は神奈川の生活の予定です。特に秋田での生活に力を入れ生活していく所存です。 釣り(海・川いずれもOK)、スポーツのいい情報がありましたらご連絡願います。

次回の同窓会を楽しみにしています。 元。(?)マドンナの皆様、よろしければ3Iのテーブルまでぜひお越しください。

服部1

春の乗鞍岳散策

服部2

東尋坊にて