十五、十六、十七とアタシの人生…暗かった……

2016年夏の還暦同窓会にて、ウ~ン十年ぶりに高校時代の皆さんのお顔を拝見しながら「ひょっとして同じ生物部の…」とか、「修学旅行で同じグループだった…」などなど懐かしい昔を思い浮かべつつ、自分のあの頃を思い出していた。
高校時代は暗かった。卓球やバスケットボールで汗を流した体育の時間は良かったけれど、なんせ授業でやる気が出ない。中学までは何でもかんでもあんなに楽しかったのに、何でだろ~、何でだろ~。多分、中学までは先生方が何かにつけて誉めてくれたり心配してくれたり…。それが高校になったら、自主性・自律性を重んじる校風だったからか、何をやっても、いや、やらなくても、先生はほとんど関知せず。授業を抜け出す男子生徒にビックリしたけれど、先生は気づいても(?)知らん顔。私も真似してサボってみたけど、同じく何事もなし。私はただただ拍子抜けしただけだった。多分、そんなことがつまらなかったのだと思う。ちっとも私のことを見ててくれないのね…。
「何を甘えたこと言ってるの!」と今ならもちろんそう思うけど、自主性のかけらも無かった当時の自分は、勉強することの意義を見失い、何の目標も持てず(持たず)、ウダウダとした中にいた。誰かと一緒でないと、あるいは誰かが背中を押してくれないと、何事にも踏み出せない自分だった。
先日、新聞にて『池上彰の大岡山通信 若者たちへ「学校時代の勉強が何の役に立つのか」という疑問への答え』を読んだ。
すぐに役に立つことはすぐに役に立たなくなる(先端的知識は4-5年後には陳腐化してしまう)。教養は、基礎的な知識の積み重ね(化学反応、有機的結びつき)があって初めて磨かれるものであって、教養を効率的に身につける、と言う考え方は失敗のもと。考え抜く力、答えを見つけ出す力を養うことが大切。
なるほどね。あの頃、この池上氏の記事を読んでいたら……。イヤイヤ、やはり当時は、だからといって自分を変えることはできなかったに違いない、多分。似たようなこと、父親にも言われていたような気もするし…。

暗い気持ちは、大学に入ってなおのこと深まった。
文系というよりは理系だろう的な消去法で入った薬学部。まだ教養部だった大学1-2年生の頃の試験休みだったと記憶しているが、高校の3年間同級で、都心の同じく薬学部に進んだK(旧姓M)さんの所に遊びに出かけた時、目を輝かせて専攻分野の教室の話をする彼女の学ぶ姿勢の自分のそれとのエライ違いに、内心焦ったものだ(その教室の教授は、その後、ノーベル賞受賞!)。
なんせ、高校までの数学や化学の知識が私の中で全くと言っていいほど有機的に結びついていないものだから…、大学生になって益々、迷路に迷いこんだ。もはや誰かが背中を押してくれるような年頃でもなく…。これではいけないという焦燥感に駆られつつもどうして良いか分からず……今にして思えば、逃げていた。
そう。暗かったなあ…十五、十六、十七と……  いやいやその後大学生になって二十歳を過ぎても、アタシの人生…暗かったのだ…。
そして、そんな自分が、「何したいか、全く分からない。やりたいことは何にも無い!」と、大学受験をする娘が開き直りに近い口調で話すのに対して「何かあるでしょ、何か!何も無いなんて信じられない!」なんて言っている。一年前だ。

二十歳過ぎまで暗くって…じゃあ今は?と問われれば(誰も尋ねやしないけど…)、やはり気分は暗い。だいたい、あたりに明るい話題がない!
地震、猛暑、台風・突風、大雨等々による大災害。国家・民族間の争い、そして地方の過疎化、などなどなどなど。

テレビで、被災して家や家族を失った方々を目にすると…きれいな飲み水も食べ物もなく痩せ細って目ばかり目立つ小さな子供たちを目にすると…生息地を失い絶滅寸前の野生動物たちの映像を目にすると…涙が出る。
難しいことは分からないけど、46億年くらい前に物理的な偶然や必然性(?)が重なって誕生したこの地球。宇宙から見るととっても美しいらしい(飛行機から見下ろしたって、十分に美しい)。その素晴らしい地球の環境が、経済の発展と共にガンガン荒廃していく。かつての大草原や森林地帯に出現した高層ビル群! 世界中がマンハッタンのようになって、いつか行ってみたいと思っていた光景が変わってしまった。地球環境の破壊に伴ってこれまでに無かった大きな災害が発生していると叫ばれて久しい。
経済の発展って、そんなに重要なの?二桁台の成長率が一桁台になったら何故いけないわけ?と、疎い私は思う。ほどほどでいいじゃない。ゆっくりでいいじゃない。
すっごく不便だった生活が便利になる。治らなかった病気が治るようになる。だから発達・発展することは必要だけれど…。
これまた新聞で読んだことだが、坂本龍一がこのようなことを書いていた。9.11、3.11、そして自身の中咽頭がんの宣告、これらによって、自分がいかに自然を知らなかったか、自然の声を聴いていなかったか、と衝撃を受けたという。「震災は巨大な『自然』の驚異。病気は個人の中の『自然』の驚異。自分は100%『自然』の一部だ。」
そう、私たちは100%、自然の一部なんだよね! それを忘れちゃいけないよね。

大きな地球のごくごく狭いエリアに目をやって「地方」を考えると、その過疎化・衰退も、拡大解釈すると経済の発展に伴う地球環境の変化…、か!?
両親、特に母親が亡くなってから帰省する回数はめっきり減っているが、帰る度に、うら寂しい気持ちになる。それでも1990年代あたりまでは、広く大きな道路ができて、「トンネルを抜けると、ここは何処?」と分からなくなるなど、栄えている感があった。駅前も賑やかだったような気がする。それがこのところは、見慣れていた家々が空き地や駐車場となって、年々、閑散としてきて、「ここは何だったっけ?」と、以前とは別の意味で分からなくなっている。空が広く大きく見えるのには感激するが…。秋田を離れて40年を過ぎた私だが、それでも秋田は元気であってほしい、元気になってほしい、と思う。
これまた何かの冊子で読んだ山内マリコのエッセー。「2000年初頭から故郷の様子が変わった。駅前の商業ビルからテナントが消え、スーパーのビルが駐車場に、中心市街地の商店街から活気がなくなった。」とあった。過疎化に関しては、どの地方も秋田と同じらしい。
彼女の場合は商店街の抱える問題点を洗い出し、文才を活かして物語に書き上げ活性化に一役買ったらしいが、何の取り得もない私は、はてさてどんな寄与ができるのか…。

秋田への寄与といえば、高校1年の時に同級だったと記憶している中村順子さん。「どこにいても少し環境を整えれば自分らしく最期を迎えることができることを秋田でももっと根付かせたい」と、自宅での介護について平成24年5月31日付けの『秋高同窓会だより』に寄稿されていた。感動してその記事を今でも保管している。
脳卒中で倒れた私の祖母は、「え(家)さ帰りて~、えさ帰りて~」と入院中そう言っていた。いよいよという昭和63年の12月上旬、冷えた夜に病院に駆けつけた時、空気を送られることにより息をしていただけの祖母の手は私の手より温かかった。
その後、10年もしないうちに、肺がんで痛みに苦しんだ父が東京の病院に移り緩和ケアによって「治ったような気になった」と言って一時帰宅し、2日も経たぬうちに呼吸困難で救急車で病院に運ばれ、秋田での主治医に毒づかれながら、そのまま逝ったのは平成8年。『セカンドオピニオン』は全くと言って良いほど定着していない時代だった。
そして、母と義父を、それぞれ膵臓がんと誤嚥性肺炎による入院の後に自宅にて介護し、平成22年と平成24年に自宅で看取った。母は、病院ではほとんど意識は混濁状態であったのに、私の家に引き取ると、身体を起こし食べ物を口にし、会社へ出かける私に手を振った。後に医師にそのことを伝えたら非常に驚いていた。義父も同様、家に戻った時、私に手を振った。いずれも短期間ではあったが…。『家』がいいらしい。
そんな時期だったからか、そんな経験をしたからか、中村さんの『自宅での看取り』に共感した。そして、そのために行動した彼女に感動した。私にも何かできることはないかと、いつか彼女と話をしたい、と思った。

還暦というのは数え年の61歳であることは知っていたが、「再び赤ん坊に返る、生まれ直す」という意味もあることは、恥ずかしながら、かの同窓会にてお祓いを受けたときの神主さんのお話しで初めて知った。俄然、もう一度、初心に返って頑張るぞ~!と思った、その時は。
この9月末にて61歳になってしまった私は、現在、まだまだヨチヨチ歩き、ということになるが、どう生きてどう死ぬか、をよく考える。やっぱり暗い私・・・。
宮本輝さんの「幸せって何だろう」と題するエッセーに「お金は必要なだけあれば、あるいは少し足りない程度がいい。生きるに値する行為とは…。持って死ぬものとは…。」とあった。正しく解釈しているか自信はないが、ほんのちょっとでも手を差し伸べることにより誰か人の役に立てること、それが人間として生きた証であり、幸せなこと。

環境保護や地元への貢献を! 自分の手足を動かし、自らの行動で何か人の役に立つことを! と、頭では考えるものの、筋力は年ごとに衰える。何もできないのに、その一方で、何ら人の役に立つことをせずこのまま(惰性的に)暮らしていていいのだろうか、と思い悩む。
ありがちな対応かも、であるが、とりあえずは、寄付で許してもらおうか。
夏の大雨による水害。給料3ヵ月分を秋田県に寄付した。よって、会社で3ヶ月間ボランティア活動、かな。だけど、再雇用の少しばかりの給料だから、流された橋の支柱1本分にもならないかも…。
国境のない医師団にも寄付しているけど…、先日NPOの職員が現地の職員と一緒になって、ネコババしたというニュースを耳にした…。
やったことは本当に役に立っているのかしらん…。

何事につけ、物事を悪い方向に考えてしまうマイナス思考の私。だから気分はますます暗くなる。そんな私だからか、新聞や雑誌で、自分を元気にしてくれる記事を目にすると嬉しい。
数ヶ月前の読売新聞の『人生案内』。80代の女性が「何の病気もないが、この世に必要とされる存在ではないと考えると空しい」と相談していた。回答者曰く、「どんなことが役に立っているのか、いないのか、人間のちっぽけな判断能力では分からない。人生の意味とか意義とか考えず、ともかく生きることを楽しむこと。感謝に満ちた生活をされていることが人々の心にプラスの影響を与えないわけがない。」  なるほど!!!
『救心』の広告での片岡鶴太郎。 感謝して、ひとつひとつに真っ直ぐに向き合う。人生を真剣に心から楽しむ。  なるほど!!!

誰か人の役に立つことを心がけよう、ほんのちょっとのことでも…
日々、感謝の気持ちを持って…

あとがき
ほんとうに徒然なるままに書き連ねてしまった!
何となく、ひょっとして、これって、自分に言い聞かせるために書いているような、と思えてきた。
ところで、皆はどんなこと書いているのかな、と数ヶ月前にAKS50 のHPを開いた。目に入ったのはJ組だった菅貞郎さん。なんと市川市の東京歯科大学の総合病院にご勤務とのこと。ウチの散歩コースよ!と、勝手に嬉しくなった。知り合い(?)が身近 (???) にいるのは心強い!お医者さんならなおのこと!!
ところでパート2、秋田美人ってホントだなあと、かの同窓会でしみじみ感じた。在住の女性陣のお肌のきれいなこと!うらやましい限りだ。

写真は、「課題で『夢』について英語で書かなければならないけど、何にも無い!」といまだにボヤいている娘の入学式。

以上、次回の同窓会にて皆さんと再会することを今から楽しみにしている かつて3年F組のかつては若かった藤巻(猿田)ゆう子 がお送りしました。

猿田