卒業後初めて参加した還暦同窓会から、早くも1年が経った。同級生と一部の女子を除けばほとんど知らない顔ぶれだったが、それなりに盛り上がって楽しい時間だった。40年ぶりでも昔の面影は結構残っているものだと思った。

今年の夏は、秋田は数十年に一度の大雨で大きな被害が出た。秋田市雄和が全国ニュースに出て、実家もあと少しで浸水するところだった。大曲の花火大会も何とか開催でき、今年もテレビで観賞できたが、毎年生で見たいと思いつつもかなわずにいる。

秋田の美味しいお酒を飲み、稲庭うどんやジュンサイ、いぶりがっこを食べ、玉川温泉の華をお風呂に入れて、テレビ番組で秋田と出ればほとんど録画して見ている。秋田こまちの新米が出ると、きりたんぽを手作りする。夫婦ともども秋田が大好きだ。暇になったらゆっくり秋田県内を廻りたいと思っている。

奈良県南部の地方都市(五條市)に住んで31年、眼科医院を開業して24年になる。

理系が好きで理数科に入学したが、医師になろうと思ったのは高2の頃テレビで僻地医療の番組を見たのと、男性と対等にやっていける職業であること、同級生に医師の子弟が多く医学部進学を身近に感じたこと、親からは資格を持つ様にと言われたことなどからだった。

僻地の医師不足解消のため建学された自治医科大学の4期生として入学した。今と違って当時はまだ女子学生は非常に少なかったが、理数科でも1人だったので気にはならなかった。

卒業前に同級生と結婚の約束をして、子供ができても家庭と両立しやすいように眼科を選択した。卒業後9年間出身県での義務年限があるため、秋田と奈良県で話し合い、2年の初期研修後結婚して夫は町立羽後病院に、私は平鹿総合病院に3年勤務した。夫は秋田弁に初めはかなり苦労したようだ。その間に双子の娘たちが生まれ、実家の母が手伝いに来てくれた。

後期研修から奈良県に来て夫の両親と同居して残りの義務年限を終えた。息子も生まれた。その後、夫がアメリカのヒューストンに留学することになり、少し遅れて私も渡米した。わずか7か月余りの滞在だったが、とても楽しく自由な時間だった。帰国してなかなか勤務先が決まらず、それまでは考えたことがなかった開業をすることになり現在に至っている。

子供たちは皆結婚し、孫も生まれた。仕事は忙しく充実した毎日だが、段々と疲れやすくなってきた。開業医は自由がきくと思っていたが、そんなことはない。全て自分に返ってくるのでかえって休みにくいのだ。割り切ってしまえばいいのだが、病気の時も最低限しか休まず仕事を続けて乗り切った。

何時まで続けようか?夫は勤務医なので65歳の定年ですっぱり辞めると言っている。

もう十分仕事をしたと思うが、患者さんのことを考えると辞め時をどうしようかと迷っているこの頃だ。

 

銀海用写真