3Dの佐々木晃久です。

昨年8月の盛大な秋高還暦同期会から9ヶ月ほど経ち、鮮烈だった記憶もすっかり斑模様に忘れかけていた5月初旬、同窓会名誉幹事佐々木章君から「リレーエッセイ、そこのところ宜しく!書かねば(`へ´)」と有無を言わさぬ手紙が届きました。その勢いに思わずビビってしまい、ついでに失念。それからすでに2ヶ月以上が過ぎ、ハッと我に返り、後先も考えない駄文を焦りながら綴っています。

先日、新聞に日本人の平均寿命が男女とも80歳を超え、世界トップレベルの長寿であるとの記事が載っていました。人生五十年の時代から見ると「一身で二生」を考えるようになったということでしょうか。確かに周りの60歳以上は元気な人がやたら多いように感じられます。「第二の人生を謳歌する」とか「自由に満ち溢れた還暦後の生き方」等の勇ましい文言も結構目にします。それに触発されて、「還暦通過などまだまだ小童(こわっぱ!)これから絶対に一花咲かせてやる!」と意気込ながらインターネットで様々な若づくりグッズを検索した時、偶然目にとまった童謡がありました。

「村の船頭さん」 歌詞:竹内俊子 作曲:河村光陽
村の渡しの船頭さんは 今年六十のお爺さん
年を取つてもお船を漕ぐときは 元気いっぱい艪がしなる
それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ ・・・・・

えっ?今年六十の「お爺さん」・・・。そうか、還暦・退職と言われてもさっはり実感がなく、つい昨日まで、まだまだ何でもできる若者気取りでいましたが、いつの間にか爺さんの仲間入りしてたんだ・・・。なんだか視線が遠くを彷徨い、肩の力がフッと抜け、同時に見た目の若さに奔ろうとした自分がちょっと恥ずかしくなりました。
人生八十年時代に突入しても、それなりに納得のいく人生を送るためには、結構、若い時分身に付いた素養・品格・自尊心・体験・知識・向上心等が物を言う気がします。
心の中では『人生の後半で慌てて身に付けようとしても顰蹙や醜態をさらけ出すだけだしな・・。だけど体力・気力・わずかな財力が重なるのもあと10年ぐらいだな・・。見た目の体裁だけ繕うような無理は禁物でも少しくらい贅沢や背伸びしても罰は当たるまい・・。
艪がしなるほど船を漕げる童謡の爺さんぐらいの体力・元気さは基本だな・・。』等、葛藤の日々が続くこの頃です。

昨今は、グローバル化とかボーダレス化とか画一化とか、時代の変化が早すぎて、その流れに取り残される不安が膨らみ、一方で、それを煽り、生き馬の目を抜く手法で利益を貪る遣り方が跋扈する、ストレス暴発の社会と言われています。
また、皆が同じ顔つきで同じ事を考えると、むしろ、多様さ・異質さが評価され、それらを敏感に先取りすることが「できる人」として人気を博したり、以前は当たり前にあった安心・安全・安定の提供が商品価値を持ったりしています。
確か、正月頃の記事だったと思いますが、「人類の歴史の大半は、危険極まりない肉食獣から逃げ回る時間で、無意識に集団でお互いの協力とコミュニケーションを図り安全を得るDNAが刻まれているらしく、そのためには表情を確かめ、触れ合って温もりを感じ、安心することがとても大事だ」という文章が載っていました。さらには、集団で一緒に時を過ごす、共通の長い時間が絶対に必要だと言うことでした。
リレーエッセイHPの中で、懐かしの歌メドレーで大いに盛り上がり、秋高祭のテーマソングを目を輝かせて歌い合う、神々しいまでの一体感や恍惚とした表情を眺めながら、この記事をふと思い出しました。
自分が将来、何になるのか、先行きのわからないまま悶々と過ごし、しかし、同時に、底抜けに能天気だったあの時代・・。今思えば、お互いの肌や心の温かさを感じながら一番安心できる、まるで「厳冬の寒さを凌ぐ猿だんご」のような濃密な一瞬だったのかもしれません・・。

先日、出張先での事。時間に余裕が出来たのでデパートのメンズフロアーを冷やかしに行きました。そのフロアーは一部改装中でしたが私はそれに気がつかずに財布、ベルト、バッグ、名刺入れ等を眺め「高価げなー」などと呟きながらぶらぶら歩き、改装中のコーナーに差し掛かった時、ふと目を前に向けると飛び込んできたのがイケメンモデルの大きなパネルと「頭上注意!」の大文字。私は何か見えざる手で導かれたかのごとく、無意識に自分の天頂に手を当てていました。・・・ 悲しい一時でした。

最近、街歩きをすると、洒落た建物が随分増えたことに気付きます。デザインは言うに及ばず、素材や色彩等個性的な建物が目白押しです。特に、ビルや内装にガラス素材やミラーを用いた建物が増えました。しかし、それは同時に、自分の姿も否応なしに目にすると言うことでもあります。高校時代に「ああ、お気の毒な事で・・。」と同情を寄せ、少しばかり失笑もした大人や教師たちの姿がしっかりそこに映し出されていました。どんなに気取ってもこれが現実、努力しない者の末路は ・・ 因果応報、後の祭りと悟るこの頃です。

【最後に近況を少し】
高校時代は、目立たぬように、転ばぬように、ひっそりと3年間を別学で過ごしました。その後、大学生活をたっぷり5年間堪能し、身の程をわきまえず高校教員として神奈川で7年、秋田で29年、併せて36年間をどうにか全うすることができました。その間、秋高にも9年間お世話になり、あれやこれやの思い出や感じたことは色々ありますが、また何かの機会があれば綴ってみようかなと思っています。
さて、4月から新しい職場で新参者として冷や汗をかきながら3ヶ月余り経ち、ようやく仕事にも馴染んできたところです。現在、秋田公立美術大学の美術教育センターで特任教授(非常勤講師)として勤務しています。3年で同じクラス・3Dだった野球部エースの鎌田勝氏も同職(隣の机)しています。
『60歳を過ぎて同じ仕事さ就くのも何かの縁だな』とか『こんた、細け(こまけ)資料だば、あど、いべしゃ!』とか『楽(らぐ)さねばな!』とか秋田の親爺色満載の日々を過ごしています。
最近は、3D:近藤貢太郎組暗黒時代の話やら、秋高の同期の近況やら、高校野球から生徒指導でH間先生やO寺先生にお世話になったこと等々、語り出すと勤務時間を忘れるくらい様々な話題で盛り上がりながら、老化防止に力を入れています。その中の、つい最近の会話を一部紹介しながら駄文を終わりにします。
佐々木:「しかし、3Dでケツを競っていた者がこうやって人に教えてるから、世の中わがらねもんだなー。秋田の教育も終わったな・・。」
鎌 田:「ほんとだ。俺方(オレがだ)二人ともよぐ校長になれたもんだな。ところで、おめ、3Dで何番ぐれだった?」
佐々木:「たぶん、最下位ではなかったはずだども・・・。」
鎌 田:「確か、俺の後に3人いだはずだ。」「TとMと・・・おめだが?」
佐々木:「いや、俺は30番の後半だったと思うが・・・。」
鎌 田:「へば、誰だべ・・・。」

これが秋田の高校教育を支えている現実です・・・・ お後がよろしいようで。
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