3D(近藤貢太郎先生)の工藤敦です。現在、FM秋田でアナウンサーをしています。2016年8月14日に開催された還暦同期会では懐かしい顔を見ることができ、大変に楽しく幸せな時間を過ごさせていただきました。有り難うございました。

さて、私、昭和50年3月に高校卒業後、大学には現役合格できたものの、大学卒業まで6年かかりました。その後いろいろあって、何とか東京にあった小さな出版社に潜り込みました。しかし、芸術関係の本を出していたその出版社は金が無く、社員も去って休眠状態。しかも、事務所を家賃滞納で追い出される始末。仕方がないので事務所探しです。やっと物件を見つけて引っ越しです。業者は頼めません。中身がギッシリ詰まったロッカーを担いでレンタカーの2tロングに積み込み、ペーパードライバーの私が運転して東京の道を運びます。「こりゃたまらん」とこの会社を何とか逃げ出し、またいろいろあって、今の会社、FM秋田に昭和59(1984)年12月に転がり込みました。

FM秋田入社後に社員研修が始まると間もなく「アナウンサーになれ」ということになっていきます。それらしい声で、普段から腹式呼吸で、滑舌が良く、訛らずしゃべることができたかららしいです。アナウンサー志望の人の多くは大学でアナウンス研究会などのサークルに入り、アナウンスの専門学校にも通い、スポーツの試合会場で実況の練習をするなど努力を重ねます。私とはまるで違う生き物です。なんか申し訳ないです。

でも、そうと決まれば、しゃべり手としての練習だけでなく、スタジオの機材の使い方も覚えなくてはなりません。さらに並行して昭和60年4月1日の開局に向けての準備も進めました。朝のワイドを担当することになり、モデル原稿を作ってリハーサルをし、形を作っていきます。細かい言い回しなどは先輩がいませんので自分たちで工夫しました。以来31年のアナウンサー生活です。

主に朝の番組を担当しました。小さな放送局ですからディレクターもしました。編成も記者クラブも担当しました。経費率97%の特別番組を作ってしまったり、大曲の花火会場からという困った条件の生放送をしたり、今では良い思い出です。そうそう。同期生の中にもFM秋田の番組に出演してくれた方々が何人もいます。中でも久木法和君は自動車販売会社に勤めていた時期、レギュラー出演していました。ディレクターは私でした。

ところで、アナウンサーの仕事は「原稿を読む」のではなく、「内容を伝える」ということ。内容を伝えるつもりなら早口言葉は簡単です。例えば「向こうの竹垣に竹立てかけた竹立てかけたかったから竹立てかけた」と一気に読もうとするとカミます。コツを教えます。「向こうにある竹垣に、私は竹を立てかけたかったんです。何でですって?だって、私、竹を立てかけたかったんですよ。だから、竹を立てかけたんです」と伝えるつもりで抑揚をつけて、さあ、どうぞ!「向こうの竹垣、竹、立てかけた。竹、立てかけたかったから、竹、立てかけた」。どうです?言えたじゃないですか!

さて、私、2016年8月16日に60歳になり、一応定年退職しました。でも、雇用延長で、引き続きFM秋田の厄介になっています。アナウンサーとして少しだけニュース読みなどで出演しています。あとはニュースデスクとして原稿をチェックして、女子アナたちの下読みに付きあったり、オンエアに付き添ったりしています。そうそう、日曜朝7時から30分放送中の「朝カラ!歌謡教室」の台本も作っています。是非聴いてください。できるうちは現役でいるつもりですので、これからもよろしくお願いいたします。

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