今年も残り1ヶ月余りとなった。ありきたりではあるが「Tempus fugit」である。お盆の高校還暦同期会から、あっという間に3ヶ月が経とうとしている。酒の席ではあったが、あの時に、「リレーエッセイ、よろしく!」と幹事から頼まれた。そして、「9月にO(旧姓)さんにワインのことで、エッセー書いてもらう予定なので、その後に載せますので、10月を目処に」と言われたような気がした。

Oさんは、ワインソムリエの資格をお持ちで、東京(横浜)で、よくワイン会に誘われている。9月にもワイン会があったが、Oさんは何も言っていなかったから、まあ、大丈夫かな、と思っていた。でも少し気になって(小心者の僕です)、秋田高校昭和50年卒業のホームページをチェックしていたが、Oさんのエッセーが載る気配はなく、安心していた。ところが幹事の佐々木さんから、10月中旬に締め切りの書いていない、丁寧な催促?の手紙をいただいた。やばい、やばい、と思いながら、それからもあっという間に1ヶ月経ってしまった。

10月、11月は学会、業務出張続きに加え、年末年始に勤務先の病院の電子カルテを、それまでのN社からF社に変更するという、やや無謀な業務の一端を担わされており、平日は時間がなく、週末こそは書こうと思い、延び延びになってしまった。本当に昨日の勤労感謝の休日に書こうと思ったのだが、またしても思いもかけず緊急オペが立て続けに2件あり、昼に呼ばれて病院へ駆けつけ、23時ころに帰ってきた。最近は、緊急オペで呼ばれることもほとんどないのだが、昨日は若い先生方が学会に出張しており、残り番の若い先生から助手をしてくれと、呼び出された次第。本当に、世の中は忙しいときは用事が重なるもの(マーフィーの法則)。合わせて8時間あまりの勤務を終えた後なので、乾いた喉をビールで潤し、ソファーに腰を下ろしたら、一眠りしてしまった。気が付いたら、24日午前2時。やっぱり、また書けなかった、と嘆息を吐きながら風呂に入る。熱めの風呂で、少し、しゃっきりした。還暦になると脱水には注意が必要なので、入浴後は冷たいお茶で水分補給。天気予報によると、東京では今朝は雪になるらしい。なんでも11月に雪が降るのは54年ぶりらしい。普段は車通勤だが、ノーマルタイアなので、無理はしたくない。電車となると、病院の最寄駅から病院まで歩かなければならない。バスもあるのだが、特に朝の通勤時間帯で雨が降ると渋滞で全くあてにならない。またタクシーもつかまらない。いわんや雪の中においておや。歩くと20分はかかりそう。そうすると6時には家を出ないと、まずそう。うーん、今寝ちゃうと、起きられないかも。じゃあ、一気に依頼のあったエッセーを書いてしまおう。

高校時代、この時間は、谷村新司・ばんばひろふみや林美雄のセイヤング、なっちゃん・ちゃこちゃん(野沢那智、白石冬美)のパックインミュージックを聴いていたなあ、と回顧にふける。東京に出てきて、42年。秋田で暮らした18年間と比べると、倍以上こちらで生活している。秋田にいたころは、雪は身近なものだったが、東京では雪が降ると大変なことになる。そういえば、冬も自転車で高校に通ったことがあった。ある時、秋高の坂道を帰りに下っていて、最後の右カーブでスリップし、自転車から放り出された。しかしながら当時は敏捷だったのか、一回転しながら柔道の受け身を取って、みごと立ち上がった。坂道の下には、バスの停留所があって、沢山の生徒が並んでいたが、いっせいに拍手が沸き起こった。なつかしい思い出である。

と、まあ、ここまで長い長い前振りであったが、多少は現況報告をしようと思う。小生、千葉県市川市にある東京歯科大学市川総合病院というところで、脳外科医をしています。東京歯科大学はその名の通り、歯科の単科大学ですが、単科大学としてはめずらしく附属の総合病院を持っており、それが市川総合病院です。東京都のすぐ隣、江戸川を渡った千葉県市川市にあります。ベッド数は570床で、人口170万の東葛南部二次医療圏の地域中核病院の一つです。一応、大学病院なので、臨床、研究、教育が3本柱ですが、9割は臨床で、高度急性期病院としてがん、脳卒中、心臓病の3大疾患の診療に力を入れています。ただ、教育にも時間を割いています。というのも、ご存知の方も多いと思いますが、歯科は不況業種と言われ、受験生の減少が激しいのですが、東京歯科大は学生教育に力を入れており、ここ数年、国家試験の合格率全国一を続けています。そんな中、最近は歯科医師国家試験の問題にかなり医系の問題が出題されるようになってきており、そのため、医系教官へも国試対策が求められるようになってきました。ですから、それなりに準備して講義に行きますが、最近の学生さんは大変真面目で、ほとんど全員出席です。また途中でふける生徒さんもいません。まあ、代返や、途中で抜け出すのが普通だった自分の大学時代と比べると月とすっぽんの違いです。

脳外科医としては、バリバリ切りまくる事は少なくなり、手術は後輩の指導が多くなってきました。今後ますます脳外科も低侵襲手術がさかんになっていくと思いますが、old neurosurgeonとして、伝統芸能は後輩に伝承していかなければいけないと思っています。その代わり、仕事の2/3は管理業務が占めています。特に、これから医療制度は高齢者の激増に備え2025年に向けて大きく変わっていこうとしていますが、どのような病院として生き残っていくのか、頭の痛いところです。また専門分野の脳卒中では、学会業務にも参画しており、多少なりともわが国の脳卒中医療に貢献できればと思っています。個人的には、これからの高齢化社会に向けて、従来の「とことん医療」から「ほどほど医療」への転換を考えていかなければならないと感じています。このためには、「どのように人生の最後を迎えるか?」、について社会全体としての合意形成に向け、教育・啓蒙活動などが重要になってくると思っています。

考えてみれば戦争を知らない平和な時代に生き、また高度成長期からバブルも経験し、本当に良い時代を過ごさせてもらって感謝している。なんとかこの平和な日本が続くようにしなければと考えているが、トランプさんが大統領になり、世界情勢は混沌とし始めた。多分、あの時代に生きた我々のほとんどはリベラルだと思う。もちろん、教条主義的な平和主義には組みしないが、やはり軍事力に頼る政治は、いつか来た道をたどると思う。世界に類のない憲法の含意を守ることが、壮大な実験ではあるが、永遠の平和というimpossible dream実現の道のような気がする。また国の収入、財政も心配だ。いくらglobalismを打ち出しても輸出は頭打ちで、またその反動で、各国とも保護主義に傾きそうだ。金融政策も円安誘導と、物価上昇が命題になっているが、円安は一部の輸出企業が恩恵を得るだけで、trickle downはおきそうにない。その上、格差社会が問題になっているが、行きすぎたglobalismと資本家優遇で世界の冨は増えてきても、(NHK特集によると)労働所得は横ばいだ。また物価上昇も、一般労働者にはあまり恩恵がないように思われるが、これも膨大な国の借金を減らすための唯一の解決策なのか?なんとなく、「これでいいのか資本主義?」、と感じる。

高校の時の読んだ江藤淳の「漱石とその時代」が好きだった。漱石が生きた時代は、まさに日本が開国し、世界とどうやって期していくのか、混沌の時代だった。その中で漱石は、教育勅語の「決して世の中に無用の人となる事なかれ」に殉じた、と江藤は書いている。それほど僕も大上段に構えているわけではないが、自身の生き方もそうありたいと思ってきた。ふるさとへの思いも、同じものがある。ただ、今できそうな事は、ふるさと納税するくらいだ。この制度をつくったのは、当時総務大臣だった菅幹事長(同姓ですが、縁戚関係はありません)だが、菅さんもふるさとへの熱い思いを持っていたのかもしれない。僕も初年度から秋田県にふるさと納税してきた。昨年からは秋田市にもふるさと納税を始めた。秋田県はお礼がないが、秋田市はお礼があり、高清水のお酒と、秋田錦牛をいただいたが、どちらも極上物だった。これからも続けて行きたいと思う(ちなみに秋田在住の知り合が、他県にふるさと納税し、お礼品をたくさんいただいているらしい。本末転倒な気もするが、経済行動としてはむべなるかな、かもしれない。ふるさと納税の問題点だろう)。

今年、還暦を迎えることになった時、父が死んだのが60歳だったので、ちょっと不安だった。なんとか無事還暦は迎えられそうだが、現在の男60歳の平均余命は、総務省のホームページを見みると、23.14年とのことである。とすればすでに人生の4分の3が過ぎようとしている。やばいですね。
父方の祖父は歯科医であった。81歳で天寿を全うしたが、雨の日も風の日も毎朝千秋公園へ散歩に出かけ、朝風呂に入り、生卵を飲んで死の直前まで好きなように働いて、ぽっくりと逝った。母方の祖父は、歌を詠み、謡曲を嗜み、郷土史を編纂し、日本酒を愛し、矍鑠としたまま天寿を全うした。出来るだけ現役生活を続けて税金を払い、趣味を持って自立して生きていくことが、日本の財政再建に寄与出来る方策かもしれない。なんとなく自分はそうなりそう、と手相をみながら根拠なき自信を持っている。

乞許乱筆乱文!

平成28年11月24日
菅 貞郎

追伸:秋田高校J組同級の菅藤啓君が急逝した。医師として全国を飛び回り、休む間もなく働いていた。多分、医師としての使命感と、ご家族のために粉骨砕身努力していたのだと思う。まだ小さいお子さんがいらっしゃり、無念だったと察す。彼の心中を思うと、滂沱の涙が止まらない。御冥福を祈り、残されたご家族に幸あれと願う。

写真は、東日本大震災後、毎年訪れるようにしている塩竃のお寿司屋さんの大将と、3年前に一緒に撮ったものです。

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