リレーエッセイ

高橋秀晴 渡邊桃伯子さんの指示により、校歌の歌詞についてわかったことを述べます。 先々代の秋田高校長に伺ったところ、以下のような回答を得ました。 土井晩翠の原稿が「海にと」となっているため正式の歌詞は「に」である。 ただし、「海へと」の方が表現として優れているので、歌う時は「へ」を採る。 格助詞「に」には「帰着点や動作の及ぶ方向を表す。」という用法があり、「へ」にも「動作・作用の向けられる方向を示す。」という用法があります。 つまりどちらも間違いではないのですが、『スーパー大辞林』の「「へ」は「に」にくらべて、その方向指示性・移動性をより強く表す語であるといえる」という解説にしたがえば、「海へと」の方が意志性が強くなり、「馳せ行く」との照応関係が明確になるため、よりよい表現であると言えましょう。  
宮田史彦 榎君、コメントありがとうございます。ところで、リンク先で校歌を確認していただけましたでしょうか。どう考えても、私は「海へと」と思っているのですが・・・。皆さんご意見お願いいたします。 あと、2020年の会に参加したく、申し込んでみたのですが、「参加ありがとうございます」のメッセージだけがむなしく表示されました。まだ1年以上先の開催ですが、締め切られたのでしょうか。
榎 昌範 あの当時、「かまくら」に通った人が「鎌倉」に行くとは奇遇ですねえ。S君、K君はAKSのHPを見てくれていますか?もしこのエッセイを見たら、是非追加コメントをお願いします。 さて、鎌倉高校が観光地の一つになっているという話でしたが、秋田でも昨年、一躍観光地になったのが甲子園を沸かせた「金農」でしたね。大曲の花火に来た際に、金農に立ち寄るのが観光コースの一つになったと聞きましたし、農場で飼われている豚がテレビで紹介されたものだから、勝手に農場に入って豚の写真を撮った人もいたとか。とにもかくにも、ああいう活躍で県民が一つになって盛り上がるというのは本当にいいことです。秋田高校にも期待したいものです。 宮田君、それでは2020お待ちしています。
田近吉彦  鵜沼さんへ、同じ3Eだった田近です。リレーエッセイを執筆していただきありがとうございました。  鵜沼さんの写真を拝見するに、ウエアも決まっていて経験豊富な「山ガール」そのもの、元気に活躍されているのですね。  私は学生時代に体育の授業で富士山に登ったことがありますが、台風が接近し、濃いガスのためご来光も下界も見られず、登頂後直ぐに下山せざるを得なかった残念な思い出があります。  65歳までには富士登山のリベンジをしたいと考え、現在はウエアや道具を揃えようといろいろ物色中です。登る力はまだまだペーペーですが、頑張りたいと思います。  最後に、HPをご覧のE組の皆さん、鵜沼さんはE組の3人目の執筆者です。リレーエッセイの執筆よろしくお願いいたします!!
榎 昌範 なーんと!書類に取り囲まれながらパソコンに向かっているのは、義美くんではありませんか。エッセイに書かれていることが本当だとわかりました。確か高校の3年次はトランプに明け暮れたような気がします。また8月11日に会いましょう!
阪口昌子 島君の激動の研究人生を初めて知りました。私は研究とは無縁の臨床医ですので、医学の進歩に向かって頑張って下さい。 白内障手術を受けて快適になって良かったです。またお会いするのを楽しみにしています。
島礼 このウェブサイトって凄いね、10年ぶりぐらいで、宏之と話しできるんだものね。サイトを立ち上げた管理者の渡邊さん有難うございます。(ついでに、一昨日飲んだ章君も)。宏之君、また遊んでね。盛岡のバイオリンとバンドネオンの店まだあるといいな。
島礼 そうか、善っちゃんは東北だから文化横町詳しかったでしたね。源氏→木村→八仙はいいですよ。みんな高清水ですし。
服部忠信(自分) ゆるゆるの毎日の生活のため、 3年時のクラスの誤記にも気づかず 投稿してしまました。 正しくは3I出身です。3H、3Iの皆様、 大変失礼いたしました。
大島昌良 3年I組の大島です。昨年1年間寝たきりの状態だった父の最後を自宅で看取ることができました。身近で在宅看護に接し、改めて尊厳死について考えさせられました。一人取り残された母は、今老人施設におります。三度の食事付、入浴も面倒を見ていただき、また、年寄同士お友達になりその人たちの世話をしたり自分の居場所を見つけることができて、家にいる時とは違い健康になり笑顔で元気に暮らしております。このような施設もまたこれでいいものだと思いました。
中村順子 もはや秋田県の在宅医療を語る時、なくてはならぬ存在となった伊藤伸一先生、お世話になっております。 同期のよしみでいろんな頼みごとをして、ちゃっかり活用させていただいておりますが、多分目指しているところは同じと思いますので、今後ともよろしくお願いします!
榎 昌範 Facebookでも時々拝見していますが、みなさん嵌まってますよねー! なにをやるにしても、体と精神の健康が第一です。今後も続けられるように精進しましょう。
中村順子 私はちょうど日赤の大学におりましたので、救護隊に入れて頂いて発災後10日くらいで陸前高田に入りました。あの時の光景、人々の姿、全て忘れることはできません。しばらくは通って高齢者、障がい、母子保健、精神など垣根を超えたケア体制づくり(今でいうなら包括ケアですが)のお手伝いをさせていただきました。 今はすっかり足が遠のいてしまっており、気に掛け続けるくらいのことしかできていませんが・・・。
榎 昌範 あの地震は凄まじいものでしたね。私は約2か月後に山田町の友人のところに行きましたが、津波の恐ろしさに身震いしました。
大島 昌良 3年I組の大島昌良です。いつまでも夫婦仲がよろしくうらやましいものです。私も妻との共通の趣味を持ちたいものです。

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